教員の質的低下が叫ばれて久しい。
初任者研修や10年研など、教員研修が強化され、人事評価システムなど成果主義が強調され、教員免許の更新制度が導入されている。免許更新制は現場からの反発が強かったが、民主党政権になった現在、結局制度は続投される見込みである。
これらの改革で教員の質が向上すると文科省や教育委員会は考えているようだが、現場の教員にとっては逆であると感じている職員が多いと思う。
その理由は、質的低下の原因を探り、問題を解決することなく、「対策」だけが打ち出されているからだと思う。
その質的低下の要因を挙げると、
① 教員の過剰労働、生徒と接する時間の少なさ
② 教育現場におけるOJT機能、チーム機能の喪失
③ 教員の社会的地位(威信)の低下、管理強化
④ 教員免許の質
などが考えられる。
「教師は長い夏休みがあっていい」と世間的には思われているが、10年ほど前からは授業が無くても有給休暇を取らない限りは出勤するのが当たり前になっている。まあ、「夏期休暇」の5日間はありますが・・・。
私は特別支援学校だから、小中学校よりかなり労働時間は短いと思いますが、小中学校は、部活動の指導や教員研修もある上に、夜回りや夜間の家庭訪問、生徒からの相談などもあるのが現状です。夜半過ぎに帰ってから、翌日の授業準備や小テストの採点をするといったことも当たり前。
また、社会的威信も著しく低下しているため、優秀な人材が集まらなくなっていると思う。
戦後20年ぐらいの間は、比較的ゆとりがあって、待遇も民間に比して悪くなく、社会的地位も高かった故に、優秀な人材が集まり、人気もあったようですが・・・。
また、労働時間における授業の割合も、日本は世界的に見て群を抜いて低い水準にあるようです。だいたい小学校で4割弱、高校になると2割強といった具合。
つまり、授業(+準備)以外の業務があまりにも多くなってしまっているのが「多忙感」につながっているのでしょう。その他の業務が増えれば増えるほど授業の質が低下しているのです。
その一つに過剰な研修や会議が挙げらます。
私の職場では放課後、週に3回会議、1回は研修(授業研究会など)なんてことがよくあります。放課後は授業の準備や部活動に時間を割きたいのですが、会議や研修で放課後の時間がなくなりつつあります。
さらに10年ほど前から、特別支援学校では「個別の指導計画」という指導計画書を児童生徒一人ずつ作成するようになったのですが、これが非常に時間が掛かる。それでいて苦労した割に指導に生かされていないように感じている。先輩方もこの指導計画が現れてからどうも勤務状態が苦しくなったと言っている。
そして②。過剰な労働量の結果、個々の教員は全くゆとりがなくなり、モチベーションが低下するとともに、新人の面倒を見て指導したり、同僚と相談して協同指導したり、といった環境が失われているように感じられる。
そして②。過剰な労働量の結果、個々の教員は全くゆとりがなくなり、モチベーションが低下するとともに、新人の面倒を見て指導したり、同僚と相談して協同指導したり、といった環境が失われているように感じられる。
その結果、個々の教員は孤立しがちとなり、一方で労働と管理ばかりが強化されてしまったため、ストレスのはけ口もなく、相談する相手もいない状況に陥りがちである。
新人教員の離職率が高くなっていることや、心の病気など、休職率が高くなっているのはこのためだと思う。
社会的地位の低下もストレスの要因の一つだろうな
生徒は教員に従わなくなり、学校のルールを守らなってしまった。
保護者はそれを学校や教員の責任に転嫁するようになったし、それがますます権威と統制力の低下につながっているように感じる。
最後に教員免許。
日本の教員免許は、どこの学部であれ、一定の単位を取得し、3~4週間程度の教育実習を受ければ交付される。普通に大学の授業を受け、教育実習を受けさえすれば免許がもらえるので、大学の教育学部に入学さえできれば誰でもとれる資格である。
採用試験に合格し10年が過ぎたが、これまでの教員生活で「この方はすばらしい」と思える先輩の教員は2,3人ぐらいしか出会っていない。逆に「こりゃだめだな」とおもえる人は何十人も出会っている。
きっと、能力のある人材は早々に教員を辞めて転職し、能力のない、転職できない人ばかりがやる気のないまま惰性で学校に残ってしまっているんだろうなあ。専門職で公務員だからそこそこ給料いいし、手厚い保険制度もあるからなあ。
最後に、これらの問題点を未解決のまま、新たな制度を導入して労働管理ばかりを強化したところで、質や効率が向上することはないだろう。ますます教員の質は下がる一方だと思う。
なので、私は教諭を辞職したい。今のままじゃあやりがいも感じないし、矛盾だらけだからね。ろくな人間いないし・・・。